鞆は、瀬戸内海という海を介して発展してきた町です。江戸時代から鞆の町民は港を大切に守ってきました。船荷の上げ下ろしに便利なように雁木(がんぎ)を港に回し、船の安全を守るために波止(はと)と常夜燈を築き、船の修理と維持補修のために焚場(たでば)を築造し、船の出入りを管理するために船番所を置きました。こうした江戸時代の港湾施設がすべて残っているのは、全国でも鞆だけだといわれています。また、江戸時代の記録によると、港内の浚渫も度々行われ、大型船の入港に備えていました。その結果、鞆の港は瀬戸内の要港として、朝鮮通信使などの外国使節や北前船を始めとする全国各地の商船を受け入れ、国内外から多くの文物や文化が入ってきたのです。
今でも、その繁栄の証である歴史的遺産や貴重な建物が驚くほど多く残り、文化庁をはじめ全国の有識者から注目を集めています。「八朔の馬出し」や「町並み雛祭り」が華やかに開催できるのも、その舞台となる歴史的な町並みを残してきたからにほかなりません。
医王寺や城山、あるいは要涯から見る町並みと一体となった港の景観は、仙酔島など名勝地である美しい自然を借景として、訪れる人の心を和ませ、ゆったりとした時間の流れの中に引き込んでいくのです。
このように、鞆は、美しい自然を背景に、歴史的遺産である多くの文化財と伝統的町並みと江戸時代のままの港が三位一体となってセットで残る、全国唯一の港町なのです。
(以下省略)
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