浄土真宗本願寺派
護法山善行寺。天文年間(1532〜1554年)上山田村(熊野町)に開基したと伝えられる。 今回の寺院調査の中で、表装の裏面に「天□□年甲午(中略)山田村寺迫」の墨書が発見され、この年号が天文3年(1534)と推定され、寺伝を立証することが出来た。 山田村で創建し、その後、鞆の医王寺下に、そして現在地に移転した。 なお、元禄3年(1690)の梵鐘があったが、幕末に供出をして、今は鐘楼のみ残る。 江戸時代を通して、朝鮮通信使の常宿でもあった。 |
![]() 山門 |
![]() 本堂 |
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玄奘三蔵法師坐像 総高99cm 木像 慶派の伝統がみれる江戸前期の作。 近世になると仏像がだんだんと退化する中にあって、気迫の込った写実的な肖像彫刻の優作である。 |
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阿弥陀如来画像 71.5 cm X 31.2 cm 裏面の墨書により天文3年(1534)の作とわかり、山田村寺迫(熊野町)に善行寺があったことを示す。 寺伝などで言われた天文の頃、上山田村に開基したことを立証した。 証如(1516〜1554)は、天文元年(1532)、大坂石山本願寺を創建した。なお、画像は後世の補修がある。 |
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聖徳太子画像 101 cm X 48.3 cm 後世の補修があるが、室町時代末期の作と思われる。 精緻な表現がほどこされている。 |
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七高僧画像 100 cm X 48.2 cm 聖徳太子像と同時代に一緒に制作されたものと思われる。 特に浄土真宗では、この聖徳太子画像と、七高僧画像はそろって掲げられる場合が多い。 |