臨済宗
大雄山正法寺。慶長三年(1598年)、京都・東福寺派(臨済宗)の守意を開基とする。正法寺は安国寺の南隣りに位置する。当時、安国寺恵瓊は安芸と備後の安国寺の住持を兼任し、その後慶長三年(1598年)には東福寺の住持となっている。こうした関係から正法寺に東福寺派の和尚が出向いたと思われる。 その後、元和九年(1623年)、深谿が妙心寺の末寺として再興をし、一時、安国寺の末寺となり、現在は、臨済宗妙心寺派に属する。 江戸時代、朝鮮通信使の常宿であり、境内には、鞆町の多くの信者より寄進された十六羅漢像(安政五年・1858年)を安置したお堂もある。 |
![]() 山門 |
![]() 本堂 |
![]() |
木造釈迦如来坐像 高46cm 総高72cm 正法寺の本尊で、宝冠をつけた釈迦如来。 像内に「延宝2年大坂本町五丁目安阿弥未世中奥 大佛師 坂上宮内法橋宗慶甲寅正月吉祥日」と墨書されている。 かなりの技術をもった仏師による精神性の込った優品。 江戸時代前期の延宝2年(1674)の作品。 |
![]() |
木造達磨大師坐像 像高48cm 像内に「延宝4丙辰年9月達磨大師尊像 大佛師宮内法橋宗慶作」の墨書がある。 延宝4年(1676)の作。 上記と同一作者で小品ながら気迫の込った優品。 中国的な雰囲気を意識した作となっている。また、安国寺の木造達磨大師坐像の作者も同じである。 |
![]() |
木造開山深渓濬坐像 総高39cm 曲ろく(いす)の裏面に「維時文化第九壬申冬十月右厄當寺開山深渓濬和尚尊像 大雄山正法襌寺 住持恵耕謹鼎造」の墨書がある。文化9年(1812)の作。 近世になると仏像がだんだんと退化する中にあって、本作は精神性までも追求した優作。作者は不明だが中央仏師によるものと思われる。 禅宗では特に師の肖像画「頂相」が尊重され、本作も、開山(中興)の頂相彫刻になる。 |