世にいう「七卿落ち」とは文久三年(1863)の八月十八日に、日本全土に拡がる尊皇攘夷や開国論争の中で、長州を始めとする他の尊壤派と提携していた三条実美ら七人の公卿は、公武合体を主張する権勢に押された上に朝譴を蒙り、宮中に参内することも、他出することも、他人との面接も一切禁じられるという厳罰を受けた、いわば朝廷における一大事件であった。 七卿とは、三条實美、東久世道禧、壬生基修、四条隆謌、錦小路頼徳、澤宣嘉の七人の公卿のことである。 長州方の手引きにより、夜来の雨を衝いて京都を脱出し、八月二十二日午後四時頃兵庫を出航した。20数艘の船と、総勢四百余人のの大船団であった。 明治初期の歌集『竹葉集』に、幕末に保命酒を歌った七卿の中の3人の歌が4首載っています。 實美 亀山に何か求めむこの屋戸のこの酒こそは生く薬なれ 李知 音にたつ鞆の港浪まくらふたたびかかるも時世なりけり 李知 この家にかみしうま酒うま人のみまへに世ただもてはやしつつ 道禧 現在1995年から6年計画で建物の解体修理工事が行われており、完成後は一般公開される予定です。 画像をクリックすると大きな画像でご覧になれます。 |