真言宗
麾尼山大観寺は昭和初期に、増福寺・玉泉寺・地福院・宝嚴寺・常喜院の五ヶ寺を統合した寺院である。 増福寺は、永禄年間(1558〜1569年)に、玉泉寺・地福院(江戸初期は泉蔵坊)は天正年間(1573〜1591年)に再興されたと伝えられる。宝嚴寺(江戸初期は長福寺)と常喜院は慶長十(1605年)年頃の建立と伝えられる(『あくた川のまき』天和3(1683)年)。 再々、朝鮮通信使の上官の宿舎になった。江戸時代は真言宗明王院末寺。 |
![]() 山門 |
![]() 大観寺本堂 |
![]() 山門額「玉泉寺」 タテ29.0cm、ヨコ57.0cm |
「高田、玉泉字 未白之印」と刻んでいる。 玉泉寺は、大観寺の前身の一寺院。 高田未白(1629〜1703)は名は正方、山崎闇斉について垂加神道を学び、儒学を修めた。 江戸前期、鞆の津で草創期の町人家塾を開き、町人教育に務めた。 |
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木造地蔵菩薩立像 像高65cm (市指定重要文化財) 地蔵菩薩像の多くは左手に宝珠、右手に錫杖を持つが、この像は珍しく合掌の形をとっている。 端麗で技巧的にも優れた作。室町期から近世初期にかけての作と思われる。 |
鞆の津塔(仮称) 総高308cm 寛文5(1665)年に鞆の商人・表屋の建立した鞆独特の石塔。 |